青い時計を鞄へしまってから、灯は父の袖を引いた。
「まだ、見せたい場所がある」
二人で傘を一本ずつ持ち、駅へ向かった。零番線はまだ開いていた。父は階段の前で立ち止まったが、壊れていないはずのものが動くときと同じ顔で、手すりを確かめた。
三枝は父を見ても驚かなかった。
「切符は、お一人に一枚です」
父に渡された切符には、『まだ間に合うだろうか』と書かれていた。父はすぐに、それを裏返した。
灯は尋ねなかった。自分も、手紙の中身を読まれたくない夜だったから。
列車は、知らない町の小さな店へ着いた。修理店ではなかった。壁に古いギターが並び、奥の椅子で、父に似た人が弦を張っていた。
「父さん、ギター弾くの?」
「昔、少し」
向こうの父は二人を見つけると、椅子を空けた。誰かに聞かせるためというより、毎日そこに置くための音を弾いた。現実の父は、膝の上で同じように指を動かした。
「店をやめたいの?」
「やめたいんじゃない。ほかのことを始めてもいいのか、分からなくなってた」
灯は父の顔を見た。自分の出発を怖がる人にも、まだ出発したい場所がある。
始発の鐘より前に、二人は戻った。父は途中で切符をポケットへしまった。手放さなくても、帰れるのだった。
店の奥で、父が押し入れからギターを出した。弦は一本切れていて、胴には細い傷がある。
「直せる?」と灯が聞いた。
「直す」
父は昨日までと、少し違う言い方をした。灯は出発用の鞄を玄関へ置き、その横に、ギターの椅子を一つ運んだ。