封を切る音は、思ったより大きかった。
中の便箋には、一行だけあった。
『戻りたくなったら、戻ってきなさい。』
灯は泣くと思った。けれど最初に湧いてきたのは、腹立たしさだった。どうして、出発する前にそう言ってくれないのだろう。どうして未来の手紙なら、簡単に言えるのだろう。
三枝が切符を差し出した。行き先の欄には、『戻りたくなったら』と印刷されていた。
列車の中は雨のにおいがした。灯が座った席の向かいに、よく似た女の人がいた。灯より少し大人で、同じところに鉛筆の汚れをつけている。
「私は、ひとつの明日」
女の人は窓を見たまま言った。窓の外に、絵の並ぶ小さな部屋が流れていく。仕事の机。半分残ったカップ。雨待ち行きの列車を調べたまま、閉じられた画面。
「成功しなかったの?」
「したよ。帰れなくなった理由には、ならないくらいには」
灯は便箋を見せた。向かいの灯は、懐かしいものを見るように目を細めた。
「これを、出発してもいいという許可だと思った。それから、帰るには失敗しなきゃいけない気がしてしまった」
車内の時計が、零時を指していた。三枝が通路に立っている。
「この人が、あなたになるとは限りません」
灯は初めて、向かいの自分の顔をまっすぐ見た。父の言葉を、自分の耳で受け取ったことのない顔だった。
「この先は、見られる?」
「見なくても、決められるよ」
大人の灯が、自分の切符を差し出した。そこには、まだ言葉がなかった。
片方の窓には、これから描く絵が見える。もう片方には、故郷へ向かう列車が見える。
灯は白紙の切符を受け取った。まだ、どちらにも穴は開いていなかった。